
「サイケデリックの波が世界を変える時——いま、私たちはどこに立っているのか?」
「サイケデリックの未来」はどこへ向かうのか?
2025年6月、アメリカ・コロラド州デンバーで世界最大級のサイケデリック・カンファレンス「Psychedelic Science 2025」が開催されました。これは、MAPS(Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies:多分野サイケデリック研究協会)が主催する国際会議で、脳科学研究者、医療従事者、セラピスト、退役軍人、起業家、サイケデリックユーザーやレイブオーガナイザー、そして先住民のリーダーまで、あらゆる立場の人々が集い、サイケデリックの過去・現在・未来について一堂に語り合う場でした。
今回のテーマは「Integration(統合)」――つまり、サイケデリック・ブームの熱狂が一段落した今、これをいかに現実社会に根づかせ、持続可能な形にしていくかという問いが根底に流れていました。
前回2023年に比べて参加者数は減少し、一部では “The Comedown”(ハイの後の下降)と揶揄される場面も見られました。MDMAのFDA承認が見送られたこともあり、サイケデリック業界全体には一時の勢いを失ったような空気も漂っています。しかしその一方で、MAPS創設者リック・ドブリンが登壇し、「失敗から学んだ今こそ、前に進む時だ」と語り、「熱狂のその先をどう生きるか」という冷静で深い議論が各所で行われていました。とくに、臨床研究の加速や、退役軍人へのサイケデリック治療に関する政府や、医療機関の各国のシロシビンの医療の合法化の動きなど、社会制度の中での現実的な前進が見られ、たとえゆっくりではあっても、確実にサイケデリックの社会実装は動いている――そう実感させられるカンファレンスでした。
印象的だったのは、法制度の課題、文化的盗用の問題、治療モデルの限界など、「耳に痛い話」にもしっかり議論がなされていたこと。特に一般的にアメリカで使われているケタミンについては「魔法か誤用か、あるいはその中間か」という現実的な議論も行われました。レイブの主催者からは、ケタミンがサイケデリックセラピーに使われ簡単に手に入るようになった一方、レイブでケタミンが多く使われるようになったため、乖離作用もあり、助け合いの場が壊れてきている、との証言もあり、法規制だけでなく、一般のドラッグユーザーにも、いい意味でも悪い意味でも、サイケデリックのセラピー効果が広まるのはいいことですが、確かな知識の啓蒙が重要であることを物語っていました。
サイケデリックカンファレンス2025は、2日間のワークショップと、4日間のカンファレンスで構成され100以上の講義が、行われました。会場内では、幾つもの会議が重奏的に行われ、どれを選ぶか、そして聞くことができない会議もありました。
◆ 主催団体「MAPS」とその歴史的役割

このイベントを主催したのは、1986年にリック・ドブリン博士によって設立された非営利団体 MAPS(Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies) です。MAPSは、サイケデリックと精神療法の科学的な研究と政策提言を行ってきた先駆的な組織で、特にMDMAを用いたPTSD治療の研究で知られています。
MAPSは長年にわたって、医学・法制度・倫理の三方向から粘り強い活動を続けてきました。現在、米国ではMDMAの治療的使用がFDAの最終承認段階にあり、MAPSの存在がこの変化を大きく後押ししています。そして2年に一度、世界最大規模のサイケデリックカンファレンスを開催しています。
◆ 会場で私が感じた問い——「この力をどう社会に届けていくのか?」
今回のサイケデリックサイエンスカンファレンス(通称PS25)では、研究者のみならずサイケデリック界のリーダーたちが一堂に集い、それぞれの立場からサイケデリックの可能性とリスクについて議論を交わしました。
展示ホールには、最先端の脳波研究やサイケデリックセラピーやアート、植物医療のブースから、CIISやナロパ大学といった教育機関、さらにはリトリートセンターやパートナーセラピー、LGBTQセッション、サイケデリックアートや、先住民の祈りの場までが共存しており、それ自体がまさに「意識の多様性」を体現する空間でした。

非常に強力なサイケデリックである、イボガインのトリートメントの案内;今回のカンファレンスではイボガインに政府のお金が使われることもあり、イボガインの先住民族のセッションについてのパネルも注目を集めていた。

シロシビンマッシュルームの新書にサインをするポール・スタミッツ氏
「この深く人の心に働きかける力を、どうすれば誠実に、安全に、そして文化的に意味ある形で社会へ届けられるのか?」
このカンファレンスは、単にサイケデリックセラピーの会議だけではありませんでした。それは、私たちがどうこの社会における心の問題を解決し、癒しの概念自体をサイケデリックによって再定義するのか、その文化・ジェンダー・死生観・共同体のあり方を問い直す、ある種の社会運動のようにも見受けられました。
◆ 文化としてのサイケデリック——性・ジェンダー・死・平和構築へ
印象的だったのは、「性とサイケデリック」「ジェンダー流動性と意識変容」「カップルセラピーにおけるMDMAの可能性」など、セラピーの枠を超えた、人間の根源的なテーマについても積極的に語られていたことです。
また、パレスチナ・イスラエルなどの対立地域で、サイケデリックを用いた平和構築(Psychedelic Peacebuilding)への試みも紹介されました。
カンファレンス最後に行われた先住民族による祈りでは、言葉を超え、サイケデリックを単なる精神治療やレクレーション、そしてエゴ肥大のツールではなく、地球に生きる小さきものとしての「人間である自分」の存在を理解するための、謙虚な「共同体の再生の力」を希求する、シャーマンの願いが込められていました。
◆ 「科学」と「祈り」が交差する場所で
このイベントに参加して最も印象的だったのは、科学とスピリチュアル、個人と社会、過去と未来が、深く交差している空間があったことです。
ある講演では、MDMAの脳内作用を解説する脳科学者が、幼少期トラウマの解放プロセスを語り、別のセッションでは、臨死体験とサイケデリック体験の類似性について哲学的に語る研究者が、「死とは恐怖ではなく変容なのだ」と語っていました。個人的には、アメリカに住むアジア人のアジアンコレクティブグループの方々と語る機会が大きかったです。アメリカに移民として住むアイデンティティや、社会的そして民族的なトラウマを乗り越え、アジア人がサイケデリックを通じて連帯し、新しい心の拠り所を一緒に作っていく、そんなサイケデリックのセーフティーネットワークの場がありました。そして、アメリカやアジアのみならず、日本における「癒し」のあり方や、サイケデリック文化がどう仏教をベースにしたアジア文化圏に根付いていくかを改めて問い直さざるを得ませんでした。
◆ サイケデリックの「非治療的」な可能性——創造性・哲学・平和構築へ
この会議の中で多く語られていたのが、「セラピーのためだけではないサイケデリックの可能性」です。
たとえばあるトークでは、パレスチナとイスラエルの若者たちが一緒にサイケデリックセレモニーを行うことで、和解と共感を育む試みが紹介されました。宗教や政治、歴史的憎しみを超えて、個人としての「人と人」が出会う場所。それは、まさに“psychedelic peacebuilding”——サイケデリックによる平和構築です。
他にも、サイケデリックが芸術的インスピレーションを与えた実例や、科学研究の突破的な発想(生命の起源に関する仮説が、アヤワスカ体験によって得られたという研究者の話など)も紹介されており、「創造性」「直観」「集合的癒し」など、従来の“治療モデル”では語りきれない広がりが強調されていました。

そして何よりも、先住民族が教えてくれる、「自然と一体である私」を実感するサイケデリックのシャーマニスティック体験により、この地球環境を自分ごとととして立ち向かい、謙虚に共同体で生きていく、という「心の幸せ」あり方を、改めて考えさせられる会議となりました。そしてそれが全ての統合につながるのだという、コロニアルな白人男性主義ではもたらすことのできない、深い問いと答えがその根底には流れていました。
◆ 境界が溶けるとき——ジェンダー、セクシュアリティの再構築

また、非常に注目を集めていたのが、「サイケデリック体験とジェンダー・セクシュアリティの関係」です。
最近発表された研究によると、サイケデリック使用後に性的指向やジェンダー認識が流動的になったと感じた人が1割以上にのぼるという結果が出ています。
異性愛者がバイセクシュアル的な傾向を感じたり、同性間の関係に新たな好奇心を持つようになったり、または自らの性のあり方そのものを再評価するなど。
これは単なる「セクシャリティの変化」ではなく、社会との関係性の中で自己を規定するのではなく、サイケデリック変性意識状況下での、自己認識の再構築という深い心理的プロセスが背景にあります。アイデンティティという“固定された自己”が、サイケデリックによって柔らかくされ、新しい可能性へと開かれていく。
一部の講演者たちは、この現象を「文化が定めた箱(identity constructs)を一度外してみるプロセス」だと語り「私たちは本当に“自分”を選んで生きているのか?」という問いが、意識の変容という文脈で語られていました。ジェンダーや性にまつわるパネルは全て満杯で多くの人の興味を集めていました。この問いは単なるジェンダーや性の話を超えた、サイケデリックがもたらす、人間存在そのものへの哲学的な自分の視点でもあり、多くの人に共通する基盤でもあると思いました。
◆ 希望と危機が同時に存在する「転換点」にて
「この世界は確かに“終わりかけている”ようにも見えるけれど、同時に“新しい何かが生まれつつある”とも感じる。だからこそ、私たちが何を信じ、どう選択するかが問われている。」
サイケデリックは「魔法の薬」ではありません。しかし、新しい視点・感受性・つながりの可能性を開くものであることは間違いありません。
そして何より、先住民の祈りが教えてくれたように、癒しとは“自分だけが良くなること”ではなく、私たち全体が癒されていくプロセスであること。
個人と社会、身体と地球、現在と祖先、そのすべての関係性の中に、「統合された癒し」をサイケデリックがこれからの未来をナビゲートしていくことを願っています。
今回のレポートでは、Psychedelic Science 2025 全体の雰囲気や、時代の転換点としての印象を中心にお伝えしました。
次回のブログでは、私が実際に参加したパネルや講演の中から特に印象に残ったセッションをピックアップし、インペリアルカレッジロンドンのデイビッド・ナット博士のサイケデリック医療の最前線、そして統合やアートといった実践の場で見えてきた倫理的な課題について、より具体的にご紹介していきます。
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